国際情勢ヨタ話

2026/07/22 06:22
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特別攻撃隊の神々は、今のニッポン社会主義低国をどう思われているのだろうか?

女子高生を殺した醜悪なるオキナワのサヨク共に、若い命を散らした特別攻撃隊員の、魂の叫びを届けよう。尤も、サヨク共は共産主義しか信じてないから、例え日本語であっても通じないだろうが。オキナワのサヨク共は、沖縄戦で命を落とした特攻隊員に感謝しない。人間の屑であろう。

「婚約していた男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って征きたい。」
「あなたの幸を希ふ以外何物もない。
 徒に過去の小義に拘る勿れ。あなたは過去に生きるのではない。
 勇気をもって過去を忘れ、将来に新生活を見出すこと。
 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。
 穴沢は現実の世界にはもう存在しない。」
陸軍特別攻撃隊 第二十振武隊 陸軍航空少尉 穴沢利夫命
婚約者に宛てた手紙の一部を抜粋

昭和20年(1945年)4月12日、南西諸島に展開する米海軍大艦隊に向けて、鹿児島県の陸軍知覧飛行場より一式戦闘機隼三型で飛び立った穴沢少尉は、猛烈な対空砲火を潜り抜けて駆逐艦に突入後爆発、散華され、今は神として靖國神社に祀られている。命中率15%と言われた航空特別攻撃だったが、同少尉は腕が良かったのか、見事に突入を成功させている。知覧周辺の女學校生徒達が櫻の枝花を振って同戦闘機を見送る有名な写真があるが、あの機体こそ穴沢少尉搭乗機である。女學校生徒達は、皆泣いていたと言う。

23歳の前途ある若者を無駄に死地へ赴かせた、昭和天皇と陸海軍首脳部には憤りしかない。戦闘機の積む250kg爆弾では、米軍艦を撃沈する事は困難である。急降下爆撃機による500kg爆弾投下か、攻撃機による800kg魚雷でも命中させない限り、軍艦の撃沈などほぼ不可能である。当たり所によっては艦船の燃料や弾薬に誘爆した事もあって、それにより撃沈の例もあったが、非常に稀な事であった。

1944年のフィリピン攻防戦に於ける特別攻撃隊は、当初海軍航空隊による一時的な手段の予定で、第一号は関行男海軍大尉だった。本人は勿論特別攻撃などやりたくもなく、しかも元々は急降下爆撃隊に所属していた。それを海軍戦闘201航空隊副長の玉井浅一中佐が、無理矢理出撃させたと言われている。関大尉を説得する際に、玉井中佐は「俺も後から必ず行く。」と言ったそうだが、結局生き残り、戦後は役所勤務や商人などの後に僧侶となって天寿を全うしている。玉井中佐を知る人々は、「あの人は卑怯者。」と断言している程である。

250kg爆弾を搭載した関大尉の零式艦上戦闘機五二型は、米海軍護衛航空母艦セント・ローのエレベーターに突入した後、爆薬や燃料に引火して大爆発、同空母は沈没した。この偶然とも言える撃沈のお陰で、その後海軍航空隊による特別攻撃は「常套手段」となってしまった。しかも、当時の朝日新聞などの報道機関は、海軍が特別攻撃隊を編成しているのだから、陸軍もやるべきだとの世論を形成していた。

その頃の陸軍航空隊は、米海軍の侵攻を抑えられない海軍に代わり、海軍戦術の雷撃を含む新しい航空戦術を編み出していた。新型の四式戦闘機疾風や百式司令部偵察機「新司偵」三型、そして四式重爆撃機飛龍を揃えて、米海軍大艦隊に対して通常攻撃を始めようとしていた。この三機種は、米軍機に対して互角に立ち向かえる、数少ない航空機だった。新司偵三型が米艦隊を索敵した上で、疾風と飛龍を無線や夜間電波誘導する戦術だった。飛龍は陸軍機にも関わらず、雷撃と急降下爆撃が可能な万能機だった。これらの新型機により、臺灣沖航空戦や沖縄本島米軍陣地爆撃、硫黄島の米軍輸送船団爆撃等が敢行され、それなりの戦果を挙げていた。

だが、国民世論に押されて、やりたくもない特別攻撃を陸軍もやる羽目になったのである。穴沢少尉は、朝日新聞などの報道機関が形成した腐れ世論の犠牲者とも言えるだろう。

特別攻撃を立案した大西瀧治郎海軍中将や、特別攻撃隊を指揮した五十数名の陸海軍士官は戦後自決したが、その他陸海軍首脳部の大半は生き残った。昭和天皇に至っては、マッカーサー元帥に命乞いした上に、後年の記者会見で、「廣島と長崎の原爆は仕方なかった事。」と言ってのけた。さすが歴代天皇の中で、唯一外国の侵略を許しただけある。

ニッポン社会主義低国の自称保守の中には、昭和天皇や戦前の陸海軍を神聖化する向きがあるが、この様な卑怯な天皇や軍人達をどう思っているのだろうか?靖國神社で旧軍の軍服を着て、訳の分からない軍人ごっこしている馬鹿者達など論外だ。国を破滅に追いやった人間達を神聖視しているのだから、全く話にもならない。

冒頭の遺書だが、出撃当日に書かれている。婚約者に宛てた手紙で、「御国の為」とか「天皇陛下萬歳」と言った当節流行の言葉は一つも無い。ただひたすら婚約者の幸せを祈り、最後に「会いたい、話したい、無性に」と記している。実に人間らしく潔い。よくこの遺書が軍の検閲を通ったと思う。もしかしたら、これを読んだ検閲官が穴沢少尉と婚約者を哀れに思って、そのままにしてくれたのかもしれない。或いは、軍人以外の民間人に手紙を託した可能性もある。何れにしても、最後の最後の土壇場に書いたとは思えない、素晴らしい手紙である。愛読者の皆様方には、御一読をお勧めする。

特別攻撃隊の若者達が守ろうとした祖国は、今やニッポン社会主義低国に成り下がってしまった。取り敢えず先進国となり、戦後ずっと対外戦争も無く平和ではあるから、特別攻撃隊の神々も少しは安心して下さっているかもしれない。だが、今の低国内に居るサヨクや自称保守などを見たら、その神々は何と思われるのであろうか?

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