あなたに親友は居ますか?その二 〜カネが無いと嘆くのであれば〜 ドイツ語を始めとした欧州言語やロシア語には、二つの「あなた」がある。ドイツ語を例にすると、du(ドゥ)とSie(ズィー)で、前者が家族や距離の近い人物に対して使われ、後者は目上や公式の場、初対面時に使われる。日本語や中国語に於ける敬称とは少し異なる。 アドルフ・ヒトラーは他者との距離を縮める事が苦手だったらしく、家族と親戚以外でduを使った人物は極限られていた。エーファ・ブラウン、エルンスト・レーム突撃隊長、ルドルフ・ヘス副総統、そして前回も紹介した生涯の親友アウグスト・クビツェクくらいだったと言われている。部下に対してさえSieを用いていたという。これはドイツやオーストリアでは珍しい例であると言われている。路線対立したレーム以外の者は、何があってもヒトラーを擁護し続けた。ヘスは戦犯に対する法廷に於いても「私はヒトラーに仕えた事を誇りに思う。」と発言している。クビツェクも連合軍の尋問に於いて、「何故あなたは、ドイツを破滅に追いやったヒトラーを殺そうと思わなかったのか?」と聞かれた際に、「アドルフは私の親友だ。彼を責める事をしない。」と回答した。その後、「ただのヒトラーの親友」と言う事で、クビツェクは釈放された。 ヘスはミュンヘン一揆後ヒトラーと共に刑務所で過ごし、またドイツ語作文が苦手なヒトラーに代わって「Mein Kampf 我が闘争」の執筆をした。ミュンヘン大学卒業のヘスは当時としてはかなりの教養の持ち主で、空軍戦闘機パイロットとしての能力も持ち合わせていたが、哲学的な学識を有していた。思想的にも影響を及ぼしたヒトラーとの関係はナチスの中でも特別だったようである。公式の場以外では、お互いにduで呼び合う友人関係だった。ヘスが鬱的で他のナチス党員と多くの軋轢があっても、ヒトラーはヘスに複雑な思いがありながら、それでも不問にしていたという。ヘスは演説が上手で、ゲッベルスと共にドイツ・オーストリア各地を遊説して人気を博した。こう言った実利的な事情、そして初期ナチス時代からの「戦友」又は「無二の友人」として、ヒトラーは、周囲から煙たがられていたヘスを追い出す事をしなかったようだ。ユダヤ人虐殺の件が大き過ぎてどうにもならないが、それでもヒトラーにも人としての情は多分にあったようだ。 悪名高き独裁者にも親友は存在した。またその人達への人情味溢れる逸話も多くあり、どちらが独裁者の本質なのか判らない事も多々ある。現代の「独裁者」と称される為政者の友人関係はどうだろうか?プーチン大統領や習近平主席、その他世界有名人の友人関係については、現時点ではよくわからない。一説によると、メドヴェージェフ前大統領とプーチン大統領は、ヘスとヒトラーの関係に近いとも言われている。後年、興味深い逸話が聞かれることになるかもしれない。その際には、その為政者達への見方が変わる可能性が高いだろう。 世の中の事件の大半にはカネが絡んでいる。人はカネが理由で殺人もやるし戦争もやる。建前ばかりのニッポン低国人は、うわべでは友情がどうだとか仕事のやり甲斐がどうだとか言うが、結局最後はカネである。ある意味、最初からカネの事しか言わない支那人やインド人、又は故畑正憲氏の方がわかりやすいし、話も早い。そして、そもそも現代ニッポン低国人、特に「ゆとり世代」以降の若い世代に於いて、自身に敢えて辛い事を言ってくれるような濃密な人間関係を持つ人の割合がどの程度なのか、かなり低いような気もする。 何故、日頃捻くれているヨタ話作者が二回に渡って「親友」について語っているかと言えば、
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あなたに親友は居ますか?その二
〜カネが無いと嘆くのであれば〜
ドイツ語を始めとした欧州言語やロシア語には、二つの「あなた」がある。ドイツ語を例にすると、du(ドゥ)とSie(ズィー)で、前者が家族や距離の近い人物に対して使われ、後者は目上や公式の場、初対面時に使われる。日本語や中国語に於ける敬称とは少し異なる。
アドルフ・ヒトラーは他者との距離を縮める事が苦手だったらしく、家族と親戚以外でduを使った人物は極限られていた。エーファ・ブラウン、エルンスト・レーム突撃隊長、ルドルフ・ヘス副総統、そして前回も紹介した生涯の親友アウグスト・クビツェクくらいだったと言われている。部下に対してさえSieを用いていたという。これはドイツやオーストリアでは珍しい例であると言われている。路線対立したレーム以外の者は、何があってもヒトラーを擁護し続けた。ヘスは戦犯に対する法廷に於いても「私はヒトラーに仕えた事を誇りに思う。」と発言している。クビツェクも連合軍の尋問に於いて、「何故あなたは、ドイツを破滅に追いやったヒトラーを殺そうと思わなかったのか?」と聞かれた際に、「アドルフは私の親友だ。彼を責める事をしない。」と回答した。その後、「ただのヒトラーの親友」と言う事で、クビツェクは釈放された。
ヘスはミュンヘン一揆後ヒトラーと共に刑務所で過ごし、またドイツ語作文が苦手なヒトラーに代わって「Mein Kampf 我が闘争」の執筆をした。ミュンヘン大学卒業のヘスは当時としてはかなりの教養の持ち主で、空軍戦闘機パイロットとしての能力も持ち合わせていたが、哲学的な学識を有していた。思想的にも影響を及ぼしたヒトラーとの関係はナチスの中でも特別だったようである。公式の場以外では、お互いにduで呼び合う友人関係だった。ヘスが鬱的で他のナチス党員と多くの軋轢があっても、ヒトラーはヘスに複雑な思いがありながら、それでも不問にしていたという。ヘスは演説が上手で、ゲッベルスと共にドイツ・オーストリア各地を遊説して人気を博した。こう言った実利的な事情、そして初期ナチス時代からの「戦友」又は「無二の友人」として、ヒトラーは、周囲から煙たがられていたヘスを追い出す事をしなかったようだ。ユダヤ人虐殺の件が大き過ぎてどうにもならないが、それでもヒトラーにも人としての情は多分にあったようだ。
悪名高き独裁者にも親友は存在した。またその人達への人情味溢れる逸話も多くあり、どちらが独裁者の本質なのか判らない事も多々ある。現代の「独裁者」と称される為政者の友人関係はどうだろうか?プーチン大統領や習近平主席、その他世界有名人の友人関係については、現時点ではよくわからない。一説によると、メドヴェージェフ前大統領とプーチン大統領は、ヘスとヒトラーの関係に近いとも言われている。後年、興味深い逸話が聞かれることになるかもしれない。その際には、その為政者達への見方が変わる可能性が高いだろう。
世の中の事件の大半にはカネが絡んでいる。人はカネが理由で殺人もやるし戦争もやる。建前ばかりのニッポン低国人は、うわべでは友情がどうだとか仕事のやり甲斐がどうだとか言うが、結局最後はカネである。ある意味、最初からカネの事しか言わない支那人やインド人、又は故畑正憲氏の方がわかりやすいし、話も早い。そして、そもそも現代ニッポン低国人、特に「ゆとり世代」以降の若い世代に於いて、自身に敢えて辛い事を言ってくれるような濃密な人間関係を持つ人の割合がどの程度なのか、かなり低いような気もする。
何故、日頃捻くれているヨタ話作者が二回に渡って「親友」について語っているかと言えば、