取材"される側"による「こういう記事を書く媒体は取材に入れませんから〜」ってのは、橋下徹の一件で有名になったことだろうが、芸能界の"取材する側"にとっては日常茶飯事。細かいところにうるさい事務所、また出禁を食らいやすい媒体など色々あって、毎日のようにどこかとどこかがガチャガチャ言い合っている。 それで、ここ10年ほど言われているのが「"される側"、つまり芸能プロダクションが強くなりすぎた」という話。芸能に関しては週刊誌の取材方法をワイドショーが取り入れ始めた1970年代後半、テレビが最強だった。しかし企業として成長をし続ける芸能プロに、いつまでも同じことを繰り返してきたテレビや週刊誌は、いつの間にか太刀打ちできなくなった。と、それがここ10年くらいって話だ。 前置きはこのくらいにしておくが、それにしたって規制を掛けるにあたってはそれなりの配慮があって当然だし、プロダクション側もメディアに対してそれなりの選択肢は与えている。なぜって、結局メディアが動かなければ商売にならないし、もし自分たちが弱い立場になった時を考えれば「明日は我が身」というわけだ。しかしあのA社ときたら、もう何でもアリみたいで・・・。
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取材"される側"による「こういう記事を書く媒体は取材に入れませんから〜」ってのは、橋下徹の一件で有名になったことだろうが、芸能界の"取材する側"にとっては日常茶飯事。細かいところにうるさい事務所、また出禁を食らいやすい媒体など色々あって、毎日のようにどこかとどこかがガチャガチャ言い合っている。
それで、ここ10年ほど言われているのが「"される側"、つまり芸能プロダクションが強くなりすぎた」という話。芸能に関しては週刊誌の取材方法をワイドショーが取り入れ始めた1970年代後半、テレビが最強だった。しかし企業として成長をし続ける芸能プロに、いつまでも同じことを繰り返してきたテレビや週刊誌は、いつの間にか太刀打ちできなくなった。と、それがここ10年くらいって話だ。
前置きはこのくらいにしておくが、それにしたって規制を掛けるにあたってはそれなりの配慮があって当然だし、プロダクション側もメディアに対してそれなりの選択肢は与えている。なぜって、結局メディアが動かなければ商売にならないし、もし自分たちが弱い立場になった時を考えれば「明日は我が身」というわけだ。しかしあのA社ときたら、もう何でもアリみたいで・・・。